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①わずか限定100台。ケチだぞダイハツ。

      実は前例がなかったため、100台しか、運輸省がら認可されなかった“フェローバギィ”

大阪でアジア初の万国博覧会が開催された1970年、同じ大阪に本社を置く自動車メーカー”ダイハツ工業(株) ”から発売されたのが、『フェローバギィ』である。
車名のフェローは、当時のダイハツの軽自動車のブランド名であり、バギーとは、砂丘や海岸線など の柔らかな砂地の上を走行できるクルマの通称である。発売さ れたのは北海道・東北をのぞく日本国内で、その数はわずかに限定100台。
さかのぼって、1968年の第15回東京モーターショーでダイハツのブースに突如、”スピード/ビーチ/カントリー”の3種類からなる『フェローバギィ』が 参考出品された。クルマと言えば、実用性重視の商用車 がまだ主流だった時代に、FRPボディによるユニークな外観と、スポーツカーなみの”2人乗り”という軽自動車=バギーにショウに訪れた観客は驚き大いに 人気を博した。翌1969年、当時の人気俳優”スティーブ・マックイ ーン”主演の映画「華麗なる賭け』が日本公開、砂丘を走るVWのビートル改造のサンドバギーがスクリーンに登場したのがバギー人気に拍車をかけた。 ついに翌1970年2月、万国博に先立って、ダイハツ工業(株)は日本初 の『バギー』を、渋る陸運局との交渉のうえ、限定ではあるが、果敢に新発売した。 同じ4月、スズキ自動車(株)から、現在も販売中の4輪駆動車『ジム二-』の初代が発売、同7月にホンダ技研(株)からは、フェローバギィに続けと ばかりに、ドアと屋根が幌製の『バモスホンダ』が発売された。 レジャー(遊び)に使用するためのクルマ=RV(レジャービークル)というジャンルが本格的に確立するのは、トヨタのハイラックス・サーフ、日産テラノ、 三菱パジェロなどが相次いで発売された。バブル経済真っ盛りの 1980年代後半となるが、その先駆けとなったのは、奇妙な軽自動車が続々と発売された、この1970年(昭和45年)であることは間違いない。

②軽トラのシャーシー流用。やるな(どけち?)大阪。“フェローバギィ”


カラーチエンジ

発売された『フェローバギィ』はダイハツの軽商用車ハイゼット・ピックアップのエンジンとシャーシーを 丸ごと流用していた。外板を外してその上に軽量なバスタブ型FRPを換装。ボデイのほぼ真ん中に2名分の座席を設置、 その後ろに150kgの荷物スペースを確保する事で、軽トラック登録とした。エンジンもハイゼット・ピックアップと同じ 360cc、26ps/5,500rpm, 最大トルク3.5kgm/4,500rpmの2サイクル仕様。当時は排気ガス規制がなく、身体には悪そうな黒煙を まき散らしながアクセルを吹かしマニュアルの4速ギアを忙しく駆使すれば、総重量が440k(今の軽自動車の半分以下)と超軽量のため、 野山を駆け巡るに充分なパフオーマンスだった。

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③先進のセンターメーター。全然、気にされなかった“フェローバギィ”


そのスタイルは、ドアがなくFRPボデイをまたいで座る、ステアリング越しに前を観るとジープのような 可倒式のフロントウインドーが、後ろを振り返ると、万が一の転倒時に乗員を保護する、ちょっと頼りないロールバーが立ち上がっていた。 そのロールバーとフロントウインドウのトップにかけて、小雨くらいは防げる程度のビニール・キャンパスが張られていた。 メーター回りはフェロー・ピックアップからそのまま持ってきた大型スピードメーターが、当時のイギリスの 大衆車”BMC・ミニ”を 模したように ハンドルの正面でなくその左、フロントパネルの真ん中に配置されている。今なら斬新だが当時は単なる”手抜き”に見えた。 ハンドルの正面にはライト、ワイパースイッチがビジネスライクに並んでいる。後の1999年トヨタが発売した小型車「ビッツ」が同じような、 センターメーター・デザインで話題となったが、その30年も前に同様のデザインを採用したのが『フェローバギィ』だった。

エンジン

●フロント縦置/ガソリン/2サイクル/水冷/直列2気筒
●駆動方式:FR ●排気量:356cc ●最高出力:26馬力/5,500rpm
●最大トルク:3.5/4,500mKg/rpm ●変速機:4速MT/フロア 

シャシー

●サスペンション(前):独立ダブル・ウイッシュボーン/コイル ●サスペンション(後)固定/半楕円リーフ  ●ブレーキ(前・後):ドラムブレーキ ●タイヤ:5.20-10

ボディ

●構造:モノコック+FRP●全長:2,995mm ●全幅:1,290mm●全高:1,400mm ●車輌重量:440kg●乗車定員:2名

性 能

●最高速度:95km/h ●登坂能力 33°30”:●販売価格 378,000円(北海道・東北を除く)


④登場してすぐに映画デビュー。今なら大女優(男優?)“フェローバギィ”


●その1 『女番長・野良猫 ロック』<1970年、日活>

なんと主演があの"和田アキ子(役名:アコ、そのまんま)"。他に梶芽衣子、范文雀 、藤竜也、アンド レ・カンドレ (後の井上陽水)モツプスなどが出演。
今もB級カルト映画として地味だが、一部のマニアに 人気がある。映画の舞台は、まだ新宿アルタができる前の、新宿。そこに巣食う、変な不良グループ同士の抗争を描いた物語。映画の終盤、和田アキ子が 乗るホンダの『ナナハン(CB750)を藤竜也の『フェローバギィ』が追いかけるというカーチェイスが圧巻。「ナナハン」が横断歩道橋のダダダダッと駆け 昇り、そのまま地下鉄への階段へ架け降りて、地下街を走り回る。それを『フェローバギィ』も追いかける。歩いている人々が、妙に新鮮。あげく フェローバギィ』は壁にクラッシュ!!アコの「ナナハン」はそのまま町を出て走り去っていく、という意味不明のエンド。

●その2 『やくざ刑事(でか)・マリファナ密売組織』<1970年、東映>

そして、もうひとつ『フェローバギィ』が登場する映画といえば、東映の「やくざ刑事(でか)シリーズ」。後にソニー・チバの名で アメリカで人気沸騰する”千葉真一”が、日本で若手アクション俳優として注目を集め始めた頃の作品だ。 『フェローバギィ』はこの”やくざ刑事”の頼れる 愛車として映画の冒頭から登場 した。そして映画の終盤、犯人が乗って逃げるヘリコプターを千葉真一が『フェローバギィ』で、追いかけ、まるで『 ダイハード2』のブルース・ウイルスのように、ヘリコプターによじ登ってしまうシーンがあった。仕掛けは 縄ハシゴが 地面に垂れ下がったまま離陸体制 に入ったヘリコプターを、千葉真一と『フェローバギィ』が360ccエンジンをアクセル全開!で追走!! 千葉真一 は、運転しながら、その縄はしごを キャッチし、グイッ!と足をかけ、スルスルスルとよじ 登って しまうのだった!! ブルース・ウイルスも真っ青のシーン が1970年、すでに日本映画には登場していたのだ!驚愕!?。

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⑤ 360ccツインキャブ40馬力!リッター百馬力越えが普通の1970年の
       軽自動車戦線。でも“フェローバギィ”はたったの26馬力。


フロンテSS(36馬力)、ホンダN360-T(36馬力)、フェローMAX・SS(40馬力)、スバル・ヤングSS(36馬力)、ミ二カ70・GSS(38馬力)
HONDA.N360

1958年発売以来、軽自動車のベストセラーだった、通称てんとう虫“スバル・360”を、1967年、発売したばかりの“ホンダ・N360” が販売台数で上回った。当時、軽自動車は、排気量360cc、出力20馬力前後の2サイクル2気筒エンジン、後輪駆動(以下RR)が主流だった。そこへ ホンダ技研(株)は自社初の量産乗用車として、得意のオートバイ・エンジン技術を生かした4サイクル、31馬力の2気筒エンジンを開発、 それを前輪に置き前輪を駆動(以下FF)する“ホンダ・N360”を発売したのだ。車両価格も31.3万円と、老舗、スバルよりも、3~4万円安い設定したことも 手伝って、瞬く間に軽のトップセラーに躍り出た。
fronte360 翌、1967年、スズキ自動車(株)は、スバルとおなじRRながら2サイクル3気筒エンジン搭載の”スズキ・フロンテ”を新発売。翌1968年、 ツインキャブを搭載リッター換算100馬力となる36馬力の”フロンテSS”を発売した。これで一気に軽自動車の馬力戦争が始まった。 同じ年、ホンダもツインキャブ36馬力のホンダ”N360-Tシリーズ”を発売。
すっかり取り残された感のあった富士重工・スバルは、老舗の意地で『スバル360』にツインキャブを搭載。最高出力36馬力の subaru.young.ss”スバル・ヤングSS”を発売した。 そして、翌1969年、RRだが、室内を広く設計し直した新型”スバル・R2”を新発売。再び 軽自動車の王者への復建を賭けた。”てんとう虫・スバル360” は惜しまれながら12年間の生産に幕を閉じた。
fellow.maxオート三輪で一世を風靡した もう一つの軽の老舗がダイハツ(株)。1966年発売の後輪駆動車(以下FR)『フェロー』で古さは隠せないながらも奮戦。そして、『フェローバギィ』 発売と同じ1970年、駆動方式をFFに変更し、外観や内装も若者をターゲットにした新型”フェローMAX” を新発売。その半年後の11月には「ど根性の40馬力!」 (リッター当たり111馬力!)と銘打って”フェローMAX・SS” を追加。ここに軽自動車のパワーウオーズは頂点に達した。
同じくFRでオーソドックスな軽自動車主体の三菱自動車(株)も、1970年、FRながらデザインを刷新した”ミニカ70”を発売。軽自動車戦線に参戦して来た 。
minica70.GSS38馬力ツインキャブ仕様(ミニカ70・GSS) も追加し、馬力競争に果敢に挑んでいった。
マツダは1962年発売の4気筒エンジンの 4ドアの軽自動車”キャロル”を販売していた。しかし、当時のマツダはロータリーエンジンの普及に主力をおいたため、1970年、 軽自動車から一時撤退し ていた。
従って、トヨタ、日産、いすゞとマツダを除いた国産5メーカーが、1973年まで続く第一次クルマ黄金期の、軽自動車戦線を勇猛果敢に戦った。 ダイハツの『フェローバギィ』は、生産販売がわずか100台だが、その数字以上に日本のモータリゼーションに、投げかけた”レジャービークル”という波紋は、 約15年後に訪れる第二次クルマ黄金時代(通称:バブル景気)への小さいが、とても大きな布石となった事は事実である。


② 無印良品

③ ゲキ可愛

④ 軽の歴史

⑤ "改"

⑥ 映画スター

⑦ 新カタログ

⑧ Xration

⑨ Mマガジン

⑩ 個人情報

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